公開日 2025年01月27日
三鷹にゆかりのある地を実際に訪れて確かめる「みたか探索マップ」。みたか都市観光協会の企画委員会メンバーが気になるところをピックアップし、皆で掘り下げ実現する楽しいプロジェクトです。
第4回の探索地は、旧東京市神田区連雀(れんじゃく)町。現在の須田町一丁目と神田淡路町二丁目です。東京都三鷹市には上連雀(かみれんじゃく)と下連雀(しもれんじゃく)があります。地名に“連雀”が付く由来は一体・・・?
旧神田連雀町で連雀のルーツを探ろう!
日 時:2024年11月12日(火)
視察先:旧東京市神田区連雀町
企画者:川井 信良(しんすけ)氏
アテンド:渡邊 安浩氏、橋本 佳明氏
レポート:山田 浩之氏
まずは予習!
事前に渡邊さんが旧神田連雀町について調べてくださいました。歴史や三鷹との繋がりについて企画委員会の中でレクチャーを行い、当日の見所などを共有しました。
また、明暦の大火※の後、神田連雀町から三鷹の地に移り住んだ二十五人衆をルーツにもつ橋本さんからもお話を伺いました。
※明暦の大火:1657(明暦3)年に起こった火災で、江戸の三大火災のひとつ。俗に振袖火事とも呼ばれている。
しっかり予習し準備万端。今回は、参加者の山田さんに当日の様子をレポートしていただきます。それでは行ってみましょう!
出発はJR中央線「御茶ノ水駅」
11月12日(火)14時30分にJR御茶ノ水駅に集合。多くの方が、集合時間前に御茶ノ水・神保町界隈を散策されたようで、改札口から現れる方は少なかったです。
渡邊さんが用意してくださった旧神田連雀町の資料が配られ、渡邊さん、橋本さんの説明の後、4回目の「みたか探索マップ」がスタートです。
JR御茶ノ水駅の聖橋口から東へ。聖橋交差点、右手にはニコライ会館が見えます。
聖橋交差点を渡り、線路に沿って淡路坂を下ります。
写真の左にあるのが椋(むく)の木。複数の幹があるように見えますが、1本の樹木です。昔、太田姫稲荷大明神(古名は「一いもあらいいなり口稲荷神社)があった場所で、今は椋の木だけが残っています。
淡路坂の片側はJR中央線の高架になっていて、古いレンガが残されています。
甲武鉄道(中央本線 御茶ノ水駅〜八王子駅間の前身)が御茶ノ水駅まで開通したのが1904(明治37)年、万世橋駅が完成したのは1912(明治45)年なので、その間に作られたレンガが残っているかも?
旧神田連雀町エリアへ!
淡路坂を下ると神田川に架かる昌平橋があり、頭上に総武線が見えます。今回は橋を渡らずに直進。いよいよ旧神田連雀町エリアです。
その先のレンガは比較的新しく感じます。
最初の目的地、筋違門(すじかいもん)跡地に着きました。「御成道(筋違門跡)」の紹介パネルの後方に見えるのが、旧神田連雀町があったエリアになります。
渡邊さんの解説にも熱が入ります。すぐ上を中央線が走ってるため、時折、電車の走る音が渡邊さんの声を遮ります。
マーチエキュート神田万世橋を見学
旧神田連雀町を探索する前に、中央線の高架下にできた「mAAch ecute(マーチエキュート)神田万世橋」を見学。
南側の路上に覗き窓が。覗いてみると、万世橋駅舎の基礎が残されていました。
「mAAch ecute(マーチエキュート)神田万世橋」は赤レンガ造りの万世橋高架橋を活かして作られた商業施設。ショップやレントラン、展示スペースなどが入っています。大正初期の万世橋駅を縮尺再現したジオラマや中央線車両が展示されていたり、一部修復された当時の階段やプラットホームがあったりと、気になるところはたくさんありましたが、次回のお楽しみとしました。
続いての目的は「老舗めぐり」
事前に決めていた訪問先を目指し、狭い路地を進みます。
最初に目に飛び込んできたのは、大きなのれんに記された「連雀町」の文字。丸に登は、下総國登戸(のぶと)の印。登戸は現在の袖ヶ浦の辺り、葛飾北斎の『富嶽三十六景』にも「登戸浦」は描かれています。
呉服の下久(千代田区神田須田町1丁目19-8)
1871(明治4)年創業。屋号は「下総屋久作」。みたか都市観光協会企画委員会による旧神田連雀町訪問の説明をする川井さん。
お店の方に旧神田連雀町のお話を聞くことができました。
旧神田連雀町エリアには、歴史を感じる建物も多く残っています。趣のある建物に惹かれるように移動する一行。
甘味処 竹むら(千代田区神田須田町1丁目19)
1930(昭和5)年創業の汁粉屋。入り母屋作りの3階建ての建物で、東京都の選定歴史的建造物に指定されています。お店の前に行列ができていました。
名物の揚げまんじゅうを購入したメンバーはその場でパクリ。
いせ源(千代田区神田須田町1丁目11-1)
「甘味処 竹むら」の向かいにあるあんこう料理専門店。「いせ源」は徳川14代将軍・家斉(いえなり)の治世、1830(天保元)年創業の老舗。店先には立派なあんこうが鎮座していました。
出世稲荷神社(千代田区神田須田町1丁目11-10)
神社の創建年代は不詳ながら、伏見稲荷大社を勧請(かんじょう)、旧連雀町内に創建したとされています。
※勧請:神仏の分霊を請じ迎えること
神社の手水にその由来が記されていました。鎮座地には、旧連雀町十八番地と記されています。
鳥居の裏側にも、連雀町の文字。
神田ちょん子(千代田区神田須田町1丁目11-12)
江戸小物・伝統工芸品を取り扱っているお店です。
店内には、店主手作りの「神田連雀こまっぷ」が展示されています。左上の年間行事表のタイトルは「連雀歳時記」と記されていました。
神田連雀亭(千代田区神田須田町1丁目17 加藤ビル2F)
二ツ目の落語家・講談師専用の定席として運営されています。
ぼたん(千代田区神田須田町1丁目15)
1897(明治30)年頃に創業の鳥すき屋。今でもガスを使わず、備長炭と鉄鍋で昔ながらの味を提供しているとのこと。一度は行ってみたいものです。建物は昭和初期のもので、東京都の選定歴史建造物に指定されています。
かんだやぶそば(千代田区神田淡路町2丁目10)
1880(明治13)年創業の老舗そば屋。蕎麦は、そば粉10:つなぎ1の《外一そば》です。
五叉路にある町名由来板(千代田区神田淡路町2丁目8)
連雀町と佐柄木(さえき)町について書かれています。
(中略)〜明暦三年(1657年)の大火「振袖火事」の後、連雀町は延焼防止の火除地として土地を召し上げられ、筋違橋の南方へ移転させられました。その際、連尺を商う二十五世帯は、遠く武蔵野に代地を与えられ移住させられました。現在の三鷹市上連雀・下連雀の治名はこの故事に由来します。〜(中略)
「連雀町・佐柄木町説明板」の上には神田須田町北部会のシンボルマーク。これまでの写真に同じシンボルマークのある建物が写っていました。どの建物だったか、みなさん気づいていましたか?
正解はここ。「加藤ビル」の文字の上にあります。
探索後に老舗で「振り返りタイム」
三鷹のルーツをたっぷり探索した後は、橋本さんおすすめの「すりみや」でおでんをつまみながら振り返ることに決めていました。それまで少し時間があったので、ちょいと寄り道を。
どうやら川井さんには行きたいお店があるようで、みんなでついていきました。
途中、歩道橋から淡路町交差点を撮影。
みますや(千代田区神田司町2丁目15-2)
淡路町交差点を渡り旧神田連雀町を少し離れ、東京最古の居酒屋といわれている「みますや」へ。ここで一杯やりたかったのですが、開店時間前で入れず…orz 旧神田連雀町へ戻るか。
神田まつや 本店(千代田区神田須田町1丁目13)
旧神田連雀町に戻り、1884(明治17)年創業の老舗蕎麦処「神田まつや 本店」にて一杯。石臼で挽いたそば粉で作る江戸前手打ち蕎麦の名店です。
お酒と一緒にいただく、もり蕎麦。美味しくいただきました。
ほろ酔いでお店を出てきた一行。すっかり夜ですね。
すりみや 神田淡路町店(千代田区神田須田町1丁目3-1 須田町ビルB1)
橋本さんに教えていただいたお店です。こちらで食事をしながら一日を振り返りました。
名物の塩釜おでん。美味しくいただきました。せりの根っこを食べる仙台せり鍋も絶品。
渡邊さんが用意してくださった「訪ねてみたい場所」地図。一通り巡ることができました。
みなさん、お疲れさまでした。
まとめ
「旧神田連雀町で連雀のルーツを探ろう!~地理・歴史に触れて三鷹の先人たちへ思いを馳せる~」に参加した皆様から感想をいただきました。
川井さん(企画者)
(明暦の大火)以来360年。おかげさまで三鷹市もまあまあ評判の良いまちになったわけだが、振り返ればここはやはり連雀開拓民に感謝を申し上げるのが筋だろう。そのためには旧神田連雀町の地に降り立ち知ることが、感謝を表す手段としてふさわしい。さらにこの望郷の地で開拓民へ敬意を表する献杯ができればなおいいと、勝手に思ったのが企画案の趣旨であった。
おかげさまで、「連雀」の名が残る痕跡を発見するたびに一同感動し、探索の締めには、この地を離れ三鷹に向かった江戸っ子に敬意を表する献杯も厳かに行われた。天気も良く無事探索できたことに感謝するとともに、詳細な資料を作成していただいた渡邊さんに厚くお礼を申し上げる。
小谷野さん(企画委員会 委員長)
御茶ノ水界隈は、66年前、大学(中央大学)時代に歩いたことを思い出しましたが、あまりにも激しい変貌に驚いています。表通りすべてビル群となり、昔の面影はどこにも見ることはできませんでした。でも、神田須田町(旧神田連雀町)は裏道が楽しい、住んでいる方が街並みを大切にしていることが、「呉服の下久」の暖簾に「連雀町 下久」とあることからも察することができました。
「あんこう鍋 いせ源」「やぶそば」「甘味屋 竹むら」などの老舗が並ぶ界隈を「連雀町老舗街」と呼ばれることが「下久」さんに頂いた「神田画報」に書かれていて、神田との連雀つながりを実感した楽しい探索でした。
渡邊さん(資料提供、アテンド)
かつての連雀町の範囲は地図で見るよりは意外と狭く、歩いて回ると直ぐに踏破してしまう。
今回の企画は、三鷹市の下連雀のルーツを辿るものであったので、自然と力が入ってしまった。元々の連雀町(丁)がどこにあったのか?火除け地となってしまった場所から移転させられた25世帯や残った人たちがどこに移転したのか?などなど興味が尽きなかった。
神田川にかかる橋(昌平橋、筋違橋、万世橋など)の変遷なども興味深かった。前回の神田川クルーズ®もそうであるが、現代の場所が江戸時代にどんなだったかを文献を調べていくと、江戸の町が近づいてくるようで楽しい。今後の企画が楽しみです。
橋本さん(アテンド)
今回散策した旧神田連雀町界隈は、駿河台に本社ビルがある保険会社に通勤していた者として、大変懐かしく、同僚たちとランチに歩いた地であり、当時の苦労や愉快な仲間たちとの日々を思い起こす散策であった。
実は神田連雀町がこの辺りであったとは知らなかった。私にとっては、ちょっとした老舗高級ランチ街であった場所だ。燈台下暗しとはこのことか。
明暦の大火の日除け地からすぐの昌平橋のたもとには損保会館がある。現役時代はよく仕事で通ったビルである。明暦の大火ゆかりの地に損保会館が建っているのは偶然だろうか。はたまた、明暦の大火にルーツを持つ者として、「旧神田連雀町を探索しよう!」に参加したのは必然ではないのか。
貴重な機会をご提供いただいた皆さまには心からの感謝を申し上げる。
森山さん
在りし日の連雀町の様子を感じることができ、感慨深いものがありました。今も連雀町の名前を記したお店ののれんや昔ながらの老舗の様子は、往時の人々の生業を彷彿とさせ、直接見聞きしたわけでもないのに懐かしく感じられます。
また、街中にひっそりとたたずむ出世稲荷神社など、日常の中に自然に存在し特に意識せずとも共存している日本人の穏やかな宗教観を体現しています。
さらには、和菓子の竹むらや蕎麦のまつやなど、今も人々に愛されている老舗の味は、決して華やかのものでないかもしれませんが、日本の文化として大事にしていきたいものです。
小松さん
「年齢を重ねると人は自分のルーツを知りたくなる」とよく言われますが、私もそれに等しく、ある時期からまちのアーカイブスにのめりこんでいます。
調べれば調べるほど、そのどこかに必ず痕跡というものが残されているのですが、この旧神田連雀町の一角には、いまだにその魂を受け継いでいらっしゃる方々がいらして、そこに住む「人」と、「まちづくり」の想いを感じました。
実物は失われても、思いを馳せることのできる場所というのはとても大切で、マップや看板、建物などの視覚的要素に、実際にそこに自分が居るということで、五感が起動します。
今回、渡邉さんの資料と説明に沿って歩くことができてとても良かったと思いました。
莊さん
渡邊さんに事前に丁寧にお教えいただき知識を得たこと、それを自分の目と足で確認できたこと、大変良い学びとなりました。探索を経て地元・三鷹の歴史が理解できたことは大きな収穫で、周りの人にも伝えていきたいと思いました。伝え続けることは大切ですね。
渡邊さんをはじめ、企画をくださった皆さまに感謝申し上げます。
山田さんのレポートの冒頭にもあったように、広報担当者も、集合時間よりかなり早く御茶ノ水駅に着き、前回の神田川クルーズ®乗船の際に水上から見た聖橋付近の光景を、地上から見て楽しみました。そして、JR中央線、総武線、東京メトロ丸の内線の車両が交差する瞬間を撮りたくて、見ず知らずの外国人観光客と並んでシャッターチャンスをうかがっていたのでした。一応撮れたのですが、交差する3つの車両が見えますでしょうか・・・?
#みたか探索マップ
— みたか都市観光協会 (@kanko_mitaka) November 12, 2024
本日は『連雀』のルーツを辿るべく御茶ノ水に来ています! pic.twitter.com/40rcXpADRt
企画委員会とは
三鷹市民を中心に、市内外で活動する個人や団体、企業など、観光振興等に興味があればどなたでも参加できる委員会。平成22年に発足し、みたか都市観光協会が事務局を担っています。
観光協会の事業協力のほか、「自分でやる」「人のせいにしない」「無理をしない」「人の話を聞く」という約束のもと、それぞれが自由な提案や協力依頼などを行い、実現に向けて人を繋げていく場です。
みたか探索マップ事業とは
企画案を具現化する取り組みとして、2019(令和元)年からテーマを設定し、それに沿った事業を委員で企画実施しています。2022(令和4)年度以降は「みたか探索マップ」と称し、市内あるいは三鷹市に関連する資源を発掘し、再発見した魅力(コンテンツ)をアーカイブ保存する事業に取り組んでいます。
地図
旧神田連雀町の探索地
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