みたか探索マップ『神田川の魅力再発見!~クルーズ船に乗って水上から江戸のまちを見上げてみよう~』

公開日 2024年01月21日

三鷹にゆかりのある地を実際に訪れて確かめる「みたか探索マップ」。みたか都市観光協会の企画委員会メンバーが気になるところをピックアップし、皆で掘り下げ実現する楽しいプロジェクトです。

第3回の探索地は、神田川下流。井の頭恩賜公園内にある井の頭池が源流となっている神田川を掘り下げ、その一滴がはるばる流れた先の景色を楽しみながら、三鷹の一滴を愛おしく感じようという企画です。利用したのは「神田川クルーズ®」。東京都中央区日本橋にある船着場を出発し、日本橋川、神田川、隅田川を船で約90分間かけて一周する「江戸時代からの歴史が詰まったジャングルクルーズ」です。

神田川の魅力再発見!

日 時:2023年11月7日(火)
視察先:神田川クルーズ®
    日本橋川~神田川~隅田川~日本橋川
企 画:川井 信良(かわい しんすけ)氏

実は2014(平成26)年と2015(平成27)年に、三鷹「通」養成講座(※)で「神田川をたどる日帰り旅」として、神田川の源流(井の頭池)から隅田川との合流地点までの主な見どころを歩いて巡る企画を実施しています。その時の講師は企画委員会の渡邊さんでした。今回は水上から江戸のまちを見上げ、前回とは異なる視点で歴史や最新情報を楽しみながら巡るという、8年越しの連続企画となりました。
(※)市民に三鷹の「通」になってもらうことを目的に、三鷹の歴史・自然・文学・産業などをテーマにし開催している講座


ではさっそく当日の様子をご紹介します。
日本橋まではバスで移動。広報担当者は乗車数分で車酔いしてしまい、Xによるリアルタイムでのレポートは諦めました…


8年前に「神田川をたどる日帰り旅」の講師を務めた渡邊さんは、今回とんでもなく細かい資料を準備。クルーズの旅に出る前にまずは予習を・・・とバスの中で説明してくださいました。もはや日本史の授業です。年表もあり、時系列で把握できてとてもありがたい♪
資料

レクチャーの後、まもなく日本橋に到着。三鷹からバスで1時間ほどでした。
前日からの雨と風が心配でしたが天気は回復。降雨で川の水位が上がるとくぐれない橋もあるそうですが、それもクリアして予定どおり周遊できることになりました。

さぁ、いよいよ皆でクルーズ船に乗り込みます。ガイドさんがなんと90分間ご案内をしてくださる贅沢なクルーズです。先に申し上げますと、ガイドさんの解説はとにかくわかりやすくて面白い!江戸の昔と今を巧みな話術で紹介していきます。

船着場
▲船着場
スロープ
▲整理券番号順に乗船(自由席)
チケット
▲整理券とチケット
日本橋出発
▲地図を片手にいざ出発!

1.日本橋川

日本橋川は江戸城の外濠(そとぼり)を辿る旅となります。
日本橋川に架かる橋
▲渡邊さんの資料から抜粋

1964年東京オリンピックの開催に伴い、都市インフラ整備の一つとして高速道路が作られ、その一部が日本橋川上空にあります。そのためしばらくは首都高速道路の下を航行します。
日本橋
▲日本橋<国指定重要文化財>

この区画の首都高速道路は2040年に地下化される予定で、すでに近くの高速道路出入口部分の撤去工事が始まっていました。奥にそびえ立つのは常盤橋タワーです。
高速道路が撤去された部分
常盤橋タワーは東京駅前の開発に伴い2021年に建てられました。2027年にはその隣に地上390mの日本一高いTorch Tower(トーチタワー)が完成する予定です。

引き続き開発の様子を見ながら進むと、左手に常盤橋公園、右手に日本銀行本店が見えてきて、“常盤橋”と“常磐橋”に差し掛かります。どちらも読み方は“ときわばし”!よく見ると漢字が少し違います。

まずは、“常盤橋”をくぐります。この橋は関東大震災の復興計画のなかで作られたもの。このように、今回のクルーズでは、震災を機に新設や架け替えが行われた橋が多く見られました。
常盤橋を過ぎると、常盤橋公園内に渋沢栄一の銅像を発見!7月から発行される新一万円札に描かれる人物ですね。「この渋沢栄一像は一体どこを見ているのか、あとでお教えします。」とガイドさんが匂わせます。

常盤橋
▲左手にトーチタワーが建設されます。
“常盤橋”を挟み右手に日本銀行が見えます。
渋沢栄一像
▲渋沢栄一の銅像

続く“常磐橋”は、都内最古の石橋。東日本大震災で一部崩落してしまったため修復工事が行われ、2021年5月に完了、通行できるようになりました。
常盤橋公園には渋沢栄一像のほか、常盤橋門跡が設置され、桝形石垣が現存しています。江戸城の外濠にはいくつか門があったそうで、常盤橋門もその一つです。

常磐橋
▲常磐橋
常盤橋門跡
▲江戸城の外濠にあった常盤橋門跡
<国指定史跡>

その先、山陽新幹線、山形新幹線、在来線をくぐったあとも石垣は続きます。
石垣をよく見ると何やら文字が書かれている石がちらほら。これらは江戸城築城に係る天下普請(てんかぶしん)により運ばれてきた石で、誰が工事を行ったかがわかるよう藩の印が彫られているのだとか。これもクルーズ船から見ることができる特徴的な景色ですね。
石
▲一ツ橋付近の石垣。よく見ると様々な刻印が。

その先の雉子橋(きじばし)は、日本橋川上流の皇居内堀に最も接近する箇所に架かっていて、江戸城の見附として厳重な警備をしていたとされています。
この辺りは首都高速道路竹橋ジャンクションに覆われています。

雉橋手前の石垣
▲雉子橋手前の石垣
雉橋
▲雉子橋

ガイドさんからたっぷり石垣の解説を聞き、雉子橋を過ぎると少し雰囲気が変わりました。
新川橋から新三崎橋までは数百mに渡って桜並木があり、橋の上から見ると首都高速道路と桜のコラボが楽しめるようです。船から見上げてお花見してみたいですね。

新川橋
▲新川橋
桜並木
▲あいあい橋付近の桜並木

ここまで来ると神田川はすぐそこ。JR中央線と総武線、そして日本橋川の最後の橋、三崎橋をくぐるといよいよ神田川です!

神田川手前
▲空が一気に見えてきました!
中央線の下
▲中央線と総武線を見上げて
日本橋川に一旦別れを告げます。

2.神田川

さぁ、続いては井の頭恩賜公園から続く神田川!今回の目的のメインです。ここからは、平川、小石川、石神井川などが瀬替えされた人工水路を辿る旅。
神田川の開削には仙台藩(藩祖は伊達政宗)も関わっていて、飯田橋駅付近から秋葉原駅付近までの開削を担当したそうです。台地を切り崩して谷を作り、洪水対策や河川船運のために拡幅し、数十年かけて完成したのが神田川です。

また、JR中央線、総武線としばらく並走しているのも神田川の特徴です。三鷹↔東京間は中央線を利用することが多く、実はこの辺りは非常に見慣れた風景なのですが、車窓とは異なる風景を楽しむことができました。
神田川に架かる橋
▲渡邊さんの資料から抜粋

では神田川を下りましょう。最初にくぐる後楽橋には、第二次世界大戦時に落とされた焼夷弾が貫通した痕が残っていました。
後楽園橋
焼夷弾の貫通痕
▲生々しい貫通痕

JR水道橋駅の横を通過し水道橋をくぐるとすぐ左手に大きなトンネルのようなものがありました。ここは“水道橋分水路の吐口(はきぐち)”と“お茶の水分水路の吞口(のみくち)”の接続点です。

お茶の水分水路の吞口
▲吞口
水道橋駅付近の神田川
▲右手に中央線と総武線

分水路とは、大雨による川の氾濫を防ぐため、川幅を広げる役割を持つ治水施設です。神田川には4つの分水路(高田馬場分水路、江戸川橋分水路、水道橋分水路、お茶の水分水路)が整備されています。吞口に流れ込んだ水は吐口から放出されます。

そこを過ぎたところでガイドさんが上を指差しました。目線をそこに向けると、何やら石碑が。
神田川上水掛樋跡
これは「神田上水懸樋(掛樋/かけひ)跡」といって、かつてこの辺りに神田上水の掛樋があったことを記念して設置されたそうです。
“神田上水”は江戸時代に作られた上水道、“掛樋”とは、水道管の橋のようなものを言います。そう、神田上水掛樋は“水道橋”の地名の由来となっています。

江戸幕府を開いた徳川家康がまず着手したのが上水道(神田川上水)の整備。飲料水を確保するためです。
神田川からシンプルに水を引いて使うのでは天候の影響で水量が安定しないため、一旦取水し、調節しながら各所に水を供給する仕組み作りに取り組んだそうです。
取水された水は水戸藩上屋敷を通り、神田川の上に架けられた水道管(掛樋)を流れて渡り、その先の地下水路によって神田や日本橋方面に運ばれる・・・そんな感じでしょうか。その大がかりな工事により神田上水ができました。

その説明の中で「神田上水は井の頭から来ていました。」とガイドさんが話してくれました。井の頭・・・このワードが聞きたかった!!おそらく我々全員が心の中で拍手をしたことと思います。東京都立井の頭恩賜公園の中心にある井の頭池は三鷹市。そこには「お茶の水」という湧水ポイントがあり、家康はこの水でお茶を淹れたと言われています。井の頭の一滴も江戸の人たちの貴重な飲料水となっていたのですね。今思えば、その説明があった時「私たち、三鷹から来ました!」と言って手を挙げれば、もっと話が聞けたかもしれません。
井の頭公園のお茶の水
▲井の頭恩賜公園のお茶の水

さて、どんどん進みましょう。
御茶ノ水駅が見えてきました。クルーズ船を追い越す中央線。いつもは神田川を見下ろしているので不思議な感覚です。
御茶ノ水駅に隣接する聖橋(ひじりばし)は、北側の湯島聖堂と南側のニコライ堂を結んでいることから、公募によりこの案が多く寄せられたそうです。とても美しいですね。

中央線
▲並走する中央線
聖橋
▲聖橋

その先にはさらに素晴らしい光景が待っていましたよ。
丸の内線
東京メトロ丸の内線と中央線特急あずさが交差する瞬間です。「こんなシャッターチャンスに遭遇するとは、なんてラッキーなんだろう!」と思っていたら、船長さんがダイヤを確認してこのシーンを我々に見せてくださったことが判明。粋な計らいですね。

無事に列車を見送ったあとは丸の内線、総武線、昌平橋(しょうへいばし)と順にくぐります。

下から見た丸の内線
▲下から見た丸の内線
下から見た総武線
▲下から見た総武線
総武線と昌平橋
▲総武線と昌平橋
昌平橋
▲昌平橋

昌平橋を抜けるとすぐお茶の水分水路の吐口がありました。吐口と総武線、そして高層ビルに映るうろこ雲がなんとも美しい!
お茶の水分水路の吐口

続いて万世橋(まんせいばし)。1943(昭和18)年まで、ここには万世橋駅があったそうです。その跡地に、駅の構造を活かした商業施設が作られ、当時の階段やプラットフォーム等が見学できるようになっているそうです。

万世橋
▲画面左に見えるのが万世橋
マーチエキュート神田万世橋
▲マーチエキュート神田万世橋

その先は山手線などの在来線や新幹線、神田ふれあい橋などをくぐります。通過する車両を見て何の路線なのか初めて気づきます。一体いくつ路線をくぐったのでしょう。我々は神田川を辿ることを目的として参加しましたが、鉄道好きの方にもたまらないクルーズですね。

また、神田川沿いの建物についても解説がありました。約30年前までは川のニオイが気になるため窓を開けることがあまりなく、川を背にして建てられていましたが、改善されてからはベランダなどを川側に向けて建てられるようになったそうです。

山手線
▲在来線や新幹線の下を通過。
遠くに和泉橋が見えます。
窓が塞がれたビル
▲窓が開かない建物と開く建物では
建設時期が異なります。

左衛門橋(さえもんばし)~浅草橋~柳橋付近には屋形船が連なるように係留されていました。船宿とビルの対比も見ていて楽しいです。
この辺りで、ガイドさんの休憩を兼ねてミニ撮影会が始まりました。ガイドさんが乗客の皆さんを順番に撮ってくださったのですが、そういえば我々は景色ばかり撮っていたので、いい記念写真となりました。とてもよい写真を撮っていただきましたが、お顔が写っているためここには載せられず・・・残念です。

屋形船
▲屋形船がズラリ
柳橋
▲柳橋

「屋形船も楽しみたーい!!」という誘惑にかられているうちに隅田川が近づいてきました。神田川の終点です。井の頭恩賜公園から湧き出た一滴は様々な川と合流しながら24.6kmを旅し、最後は隅田川へと到達したのでした。
墨田川から見た柳橋
▲隅田川から見た神田川。なぜだか名残惜しいです。

隅田川

神田川クルーズ®、3つ目の河川は隅田川。全身で太陽と風を感じる開放的な航行です。

墨田川に架かる橋
▲渡邊さんの資料から抜粋

隅田川に出ると一気に視界が開け、東京スカイツリーが見えました。手前を走るのは総武線です。見慣れている総武線がさらにかっこよく見えます。天気もよく、気分は最高!
スカイツリーと総武線

両国橋
▲両国橋
明暦の大火をきっかけに作られました。
竪川水門の手前
▲空が広くて最高!

途中で大きな水門を見つけました。堅川(たてかわ)水門です。水門の先にある堅川は水害を防ぐために江戸時代に開削された運河です。
また、日本橋川や神田川と異なり、隅田川には首都高速道路や橋がゆったりした間隔で掛かっていて、一つ一つしっかり眺めることができます。

堅川水門
▲堅川水門
新大橋
▲新大橋
関東大震災で唯一被災を免れたそうです。

新大橋を過ぎたところでガイドさんが何やら取り出して見せてくださいました。
江戸時代の浮世絵師 歌川広重が、晩年に木版画で描いた名所江戸百景の一つ「大はしあたけの夕立」です。
大はしあたけの夕立
この作品に描かれているのは隅田川に架かる橋、まさに現在の新大橋なのだそうです。突然夕立に見舞われ急ぎ足で渡る人々は、まるで今にも動き出しそう。
こうして誰もが見たことがある絵と比較するのは大変面白く、タイムスリップした気分になります。

ユリカモメも優雅に飛んでいました。船長さんに「ユリカモメが飛んでるよ~。」と教えてもらい、大興奮。なかなかうまく撮影できず首が痛くなってしまいました。

ユリカモメ
▲絵に描くのと同じ形!
ユリカモメの大群
▲クルーズ船に付いてくるかのように旋回

先ほど堅川の話をしましたが、もう一つ江戸時代初期に開削された運河がありました。小名木川(おなぎがわ)です。
小名木川の河口には芭蕉庵史跡展望庭園があり、松尾芭蕉の銅像が鎮座していました。この芭蕉さん、なんと毎日17時になると川の方面に向きを変えるそうです。

松尾芭蕉
▲芭蕉庵史跡展望庭園
右側に松尾芭蕉像が見えます。
小名木川
▲小名木川

松尾芭蕉は江戸時代の俳諧師(はいかいし)で、「おくの細道」が有名ですね。近代的に感じる隅田川の風景のなかに歌川広重に松尾芭蕉といった歴史上の偉人が登場するとは。

この先も、清州橋、隅田川大橋、永代橋(えいたいばし)と大きな橋が続きます。
清州橋は、美しい吊橋型をしていて、国から重要文化財に指定されています。関東大震災後の復興事業の一つとして、当時の最先端の技法と質の高い部材によって作られたそうです。
清洲橋

下流にある永代橋とはデザインが対になっているのだとか。比べてみましょう。なるほど、しなやかな清洲橋と力強い永代橋。いいですね。

清洲橋全景
▲清洲橋<国指定重要文化財>
永代橋全景
▲永代橋<国指定重要文化財>

清洲橋を過ぎて振り返ると・・・そこには絶景がありました。スカイツリーに川に橋。ずるいですよね。これは夜景も鳥肌級であると容易に想像できます。・・・見に行きたい!!!
清洲橋とスカイツリー

その絶景ポイントの近くにまた水門らしきものがありました。清澄排水機場です。
清澄排水機場の向こう側には仙台堀川(運河)が流れています。江戸時代、この辺りに仙台藩の屋敷があり、仙台から送られた米などを運ぶために利用していたそうです。
続いて、清洲橋と永代橋の間に架かる隅田川大橋。上下二層式の構造になっていて、上段が首都高速道路、下段が一般道です。

清澄排水機場
▲清澄排水機場
墨田川大橋
▲隅田川大橋
奥(下流)に永代橋が見えます。

次にくぐるのは永代橋・・・と言いたいところですが、永代橋の手前で日本橋川へと戻ります。ゴールまであとわずか。マラソンに例えると35km地点を通過したところでしょうか。
さようなら隅田川。
永代橋

再び日本橋川へ

日本橋川に戻ってきました。下流から上流へと向かいます。
日本橋川に架かる橋2

湊橋をくぐると頭上に首都高速道路が見えてきました。なんだか懐かしさを感じます。ここから先は、ゴールまで高速道路とともにラストスパートをかけます。

湊橋
▲湊橋
茅場橋
▲茅場橋
頭上を首都高速道路が走ります。

首都高速道路の下に潜る辺りに大きな水門があります。日本橋水門です。
ガイドさんに促されて護岸を見ると、光ファイバーケーブル(監視制御用自営線)が通っていました。ケーブルが水位の上昇を感知すると、24時間体制の水門管理センターから遠隔操作により水門が開閉調整される仕組みです。
日本橋水門のケーブル
▲護岸に光ファイバーケーブルが2本通っています。

茅場橋、鎧橋の先には東京証券取引所、そして渋沢栄一の邸宅跡がありました。すぐ脇を江戸橋ジャンクションが走ります。

東京証券取引所
▲東京証券取引所
江戸橋ジャンクション手前
▲渋沢栄一邸宅跡とジャンクションが
近づいてきます。

渋沢栄一邸宅跡
▲左手に見えるのが渋沢栄一邸宅跡。その優れた意匠を活かし、現在は証券取引所が集められたビル「日証館」になっています。

渋沢栄一は数多くの銀行や証券会社などを設立し、“日本の資本主義の父”と呼ばれている人物。クルーズ出発後、ほどなくしてご紹介した常盤橋付近の渋沢栄一像を覚えていますか?「彼が見つめる先は、自身が住んでいたこの旧邸宅や金融街。きっと今でも日本の経済を見守っているのでしょう。」というガイドさんの一言に、一同うなずいたのでした。

さぁ、いよいよ神田川クルーズ®最後の橋、江戸橋にやってまいりました。1880年、架け替え工事中にナウマンゾウの臼歯化石が発見されたそうですよ。

江戸橋1
▲江戸橋
江戸橋2
▲江戸橋を抜けるとゴール目前

出発点であり終点でもある日本橋に戻ってきました。
最後に日本橋の下をぐるっと回ってゴール。長いようであっという間の90分の旅でした。
日本橋ゴール付近
▲空が戻ってきた2040年の日本橋のイメージ図を掲げるガイドさん

まとめ

神田川の魅力再発見!~クルーズ船に乗って水上から江戸のまちを見上げてみよう~に参加した皆様から感想をいただきました。
出発前の集合写真

川井さん(企画者)
以前2回ほど、自転車で井の頭池から神田川沿いを走り終点の隅田川まで行きました。2回とも最後の橋となる柳橋から神田川を眺めましたが、この川の中には、井の頭池の水がはるばる流れてきたことを思うと、いとおしく感無量となりました。今回の神田川クルーズ®の提案は、江戸神田上水を偲ぶとともに、そんな経験が原点にありました。

小谷野さん(企画委員会 委員長)
まずは「潮の満ち干で川の水位が変わることでクルージングができないと途中で引き返す」と掲示されたときは残念だと思いましたが、出発間近に解除されほっとしました。
90分間のガイドでは、41の橋を見上げての解説、水運の歴史、江戸城の石垣(城壁)工事の名残りなどと合わせて、川から見える街並みの説明など、飽きることのないガイドさんの豊富な知識と話術に感心したクルージングでした。
三鷹ではいつも「橋を見下ろして」いましたが(陸橋で)、「橋を見上げる」のもそれぞれの歴史と、戦火の歴史を感じました。

渡邊さん(資料提供)
「神田川クルーズ®」に乗船するのは2回目ですが、前回の乗船では、クルーズでどんな風景が見れるのか分からなかったので、ガイドの説明に任せてクルーズを楽しんだ思い出があります。今回は「みたか探索マップ」事業としてのイベントで、資料の準備を依頼されていたこともあり、かなり前から取り組みました。「クルーズのコースのどこで何が見れるか」は既に分かっていたので、それぞれのポイントにまつわる歴史や見どころを調査しました。
「神田川クルーズ®」を楽しむために準備した「旅のしおり」は本文11頁、橋についての説明25頁、付図3種類としました。特に力を入れたのは、ルートマップ、江戸城の大修理などを年表にまとめたもの、御江戸大絵図などでした。資料の出典先などを確認しながら、間違いのないように気を使いました。みたか都市観光協会の理事および事務局の方々に事前に確認いただいたが、「良くできています。」との評価をいただき満足しています。参加された方々の感想も聞きたいところです。
事前に予習してあったので、今回のクルーズは実のあるものでした。新たに発見したものは、日本橋川を覆っている高速道路の一部(江戸橋出入口、呉服橋出入口)を撤去する工事が既に進行中であること、外堀近くに2027年に日本一の高さのトーチタワーが竣工すること(場所の再確認)、お茶の水分水路の吞口、吐口を再確認できたこと、隅田川、日本橋川の堤防に洪水の恐れがあるときにセンサーが働いて水門が閉じるようになっていることなどでした。ガイドの方が90分間休みなくしゃべり続けていたことには感服しました。情報もアップデートされていてとても良かったです。外堀の石垣についての説明が熱かったですね。
日本橋川を覆う高速道路の地下化工事が既に始まっていて、高速道路の地下道開通が先行し、最後に高架の道路が完全に撤去されるのが2040年を予定していることも確認できました。日本橋に青空が戻ってくるのは、あと17年後か!
まさに「再発見」の旅であった。クルーズはとても楽しく、満足できた。次なる企画に期待します。

橋本さん
11月7日『神田川の魅力再発見!~クルーズ船に乗って水上から江戸のまちを見上げてみよう~』に参加させていただきました。
出発点のお江戸日本橋を出航して、日本橋川をさかのぼり、水道橋付近で合流する神田川を下り、隅田川に出て再び日本橋川から日本橋へ帰航するコース。神田川の元々の本流は、現在の隅田川へ流れ込む神田川ではなく、日本橋川(平川)だったのではとも云われていますから、今回のクルーズは、井の頭で湧き出た一滴のしずくの行方を知るに大変有意義はコースでした。
オープンエアの船上から見る景色は、江戸時代の石垣など歴史的な場所や文化的な名所が点在していますし、橋の多くは関東大震災後の昭和初期にかけられた震災復興橋で東京大空襲の爪痕なども残り興味津々、御茶ノ水辺りではJR中央線高架を見上げ、地下鉄丸の内線とこんにちは。水上から鉄橋を走るJR総武線橋越しのスカイツリーは印象的。
また、ジャングルクルーズのキャストばりの船上ガイドさんのサービス精神には日々の努力が垣間見れ大喝采、とても勉強になりました。ちゃんと神田川の源を発する井の頭のご説明があり、何故かひと安心。
都会の喧騒を離れ、川面をゆったりと流れる船から眺める景色は、非常に穏やかでリラックスできるものでした。さらに、クルーズを終えても、渡邊さんの完全保存版資料を読み返す楽しみのおまけ付き。(資料は家宝にします。)大変有意義で楽しい企画に参加できましたこと心より感謝申し上げます。多謝。感謝。感動。


洪水を防ぐために大地を切り崩し入江を埋め立て、川の方向を変えたり繋げたりしながら変化を遂げた江戸のまち。築城、そして人々が安心して暮らせるまちづくりを目指して発展していくなかで、井の頭池の湧水は神田上水、神田川を作る一滴となったわけです。今回辿った3つの川はそれぞれ異なる特徴を持っていますが、“江戸のまちづくり”は川づくりとともに行われてきたことがわかりました。
また、ガイドさんの知識と話術、常に情報を上書きし旬を提供する姿勢なども、大変勉強になりました。

17年後の2040年、頭上に空が広がる日本橋の景色を見に行き、まちの変化を楽しみたいと思います!

企画委員会とは

三鷹市民を中心に、市内外で活動する個人や団体、企業など、観光振興等に興味があればどなたでも参加できる委員会。平成22年に発足し、みたか都市観光協会が事務局を担っています。
観光協会の事業協力のほか、「自分でやる」「人のせいにしない」「無理をしない」「若者・よそ者・ばか者を大切にする」という約束のもと、それぞれが自由な提案や協力依頼などを行い、実現に向けて人を繋げていく場です。

みたか探索マップ事業とは

企画案を具現化する取り組みとして、2019(令和元)年からテーマを設定し、それに沿った事業を委員で企画実施しています。2022(令和4)年度以降は「みたか探索マップ」と称し、市内あるいは三鷹市に関連する資源を発掘し、再発見した魅力(コンテンツ)をアーカイブ保存する事業に取り組んでいます。

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