公開日 2025年06月23日
2025年は戦後80年ということで、みたか都市観光協会の職員として、三鷹市周辺の戦争遺跡に関する理解を深めるためにウォーキングを実施しました。
かつて中島飛行機武蔵製作所(※1)があった都立武蔵野中央公園を最終的な目的地として、三鷹駅から廃線跡の遊歩道等を巡りました。
(※1)第二次世界大戦時、零戦など軍用飛行機のエンジンなどを製造していた軍需工場。三鷹市大沢には「三鷹研究所」があった。
日時:2025年5月13日(火)
行程:JR三鷹駅→堀合(ほりあわい)遊歩道→ぎんなん橋→グリーンパーク遊歩道→都立武蔵野中央公園
三鷹駅南口出発
資料として行程表と平和散策マップ(武蔵野市観光機構発行)を用意し、ウォーキングをスタート。よく晴れて時折サッと吹く風が気持ち良い。
まずは三鷹駅南口から線路沿いを西(武蔵境駅方面)へ進み、堀合地下道を通って線路の北側へ。
跨線橋(三鷹跨線人道橋)跡
堀合通りを西へ進むと、解体が進み階段部分だけになった跨線橋が見えてくる(2025年5月13日現在)。
跨線橋は1929(昭和4)年に設置され、太宰治が好んで訪れた場所としても知られている。2023(令和5)年12月、老朽化により役目を終えた。
その先に堀合児童公園がある。
西側から見た跨線橋の階段
堀合遊歩道
堀合児童公園を抜けて、堀合遊歩道へ。カーブを描くような道を北に向かって歩く。
堀合遊歩道は、1951(昭和26)年に開設された「東京スタジアム グリーンパーク野球場」へ観客を運んでいた鉄道の軌道跡を整備した道である。
グリーンパーク野球場とは、戦後、中島飛行機武蔵製作所の東工場跡地に建設された野球場で、三鷹駅から球場まで「国鉄 武蔵野競技場線」が走っていた。だが、砂埃がひどかったこと、都心部からの交通アクセスが悪かったこと、他球場が開場して野球場不足が解消されたことなどから、グリーンパーク野球場は1シーズン限りで使われなくなった。武蔵野競技場線も翌1952(昭和27)年から休止状態となり、1959(昭和34)年に正式に廃止された。
歩いていると、国鉄保有地だったことを示す「エ」マークの境界杭を塀際に見ることができる。(ちなみに、「エ」は明治時代に鉄道事業を管轄していた「工部省」の頭文字)
ぎんなん橋
さらに進むと玉川上水に架かる「ぎんなん橋」がある。
この場所には武蔵野競技場線が廃止された後も橋台の一部が残され、2012(平成24)年、都道の建設に伴い、橋台の上にぎんなん橋が設置された。
武蔵野競技場線は、中島飛行機武蔵製作所の引込線(戦時中、武蔵境駅から工場まで物資を運ぶために作られた線路)の一部を利用して敷き直されたものである。
武蔵野市は1944(昭和19)年11月から1945(昭和20)年8月まで計9回の空襲を受けたのだが、工場を狙ったアメリカ軍の空襲により引込線も被弾したため、この橋台跡は引込線の遺構で唯一残った“戦争遺跡”なのだそう。
三鷹市側から見たぎんなん橋。左手に見えるのは境浄水場
武蔵野市側から見たぎんなん橋
中央に見えるコンクリートが橋台の一部
ぎんなん橋の南側は三鷹市、北側は武蔵野市であり、堀合遊歩道はここまで。ぎんなん橋を渡った先はグリーンパーク遊歩道になる。
グリーンパーク遊歩道
ぎんなん橋の北側から武蔵野中央公園正面入口まで続く遊歩道。
遊歩道の西側に隣接する東京都水道局の境浄水場もまた、アメリカ軍の空襲により被弾した。
武蔵野市の市章が入った境界標
関前高射砲陣地跡
木立の中を気持ちよく歩ける道が続くが、広場がある関前3丁目あたりには、かつては高射砲陣地が設置されていた。飛来するアメリカ軍機を迎え撃つためのものだったが、高度1万メートルを飛ぶB29には届かなかった。
関前3丁目交差点
五日市街道に出て、関前3丁目交差点を渡る。関前は空襲による犠牲者が多かった場所である。
ここからは北東にゆるやかに弧を描くような道が続き、武蔵野中央公園に到着する。
再び遊歩道を歩いていると、途中で道が分かれていた。案内板によると、右の道が武蔵野中央公園へと続いている。左の道は戦前の引込線だったもよう。
都立武蔵野中央公園
目的地である武蔵野中央公園に到着。
ここがかつて中島飛行機のエンジン工場があった場所である。当時、国内で最新鋭の設備を誇る工場であったことから、第二次世界大戦ではアメリカ軍の攻撃目標となり、計9回空襲を受け、工場関係者の犠牲者は200名以上、周辺住民も多数犠牲となった。
軍需工場の全貌をARの技術で再現
11月上旬までは、最近のAR技術(※2)を使った「歴史ARガイド」体験ができる。
専用のアプリをダウンロードし、園内5か所に設置してあるQRコード(※3)をスキャンすると、スマートフォン上で約80年前に存在していた中島飛行機武蔵製作所の当時の風景や建物が再現される。音声ナレーションも「大人向け」「子ども向け」の2種類から選択可能。
(※2)Augmented Reality(拡張現実)の略で、現実世界にデジタル情報を重ねて表示し、現実を拡張する技術
(※3)「QRコード」はデンソーウェーブの登録商標
円形広場
公園東側のイチョウ口近くにある円形広場へと移動。中島飛行機武蔵製作所のほぼ中央に位置し、爆撃照準点とされた場所である。
空襲大型説明板5枚が設置され、工場の歴史や空襲の経緯などが記されているほか、公園整備の際に発見された、工場地下道の床面の一部が展示されている。
三鷹駅北口へ
ウォーキングはこれで終了。
武蔵野中央公園を後にし、都営武蔵野アパート(東工場跡)、NTT武蔵野研究開発センタ(組立工場跡地)、武蔵野総合体育館(陸上競技場は「中島運動場」だった)の前を通り、武蔵野市役所前からバスで三鷹駅へ。
移動距離:約5km
歩数:約8,000歩
参加職員所感
風を感じながら木陰を行く、歩きやすい遊歩道のあちこちに、旧引込線の名残を見つけることができました。
武蔵野中央公園では「歴史ARガイド」を使って、当時の中島飛行機武蔵製作所の様子をよりリアルに感じることができました。B29から落とされた1t爆弾のCG映像を見ると、被害の甚大さ想像できて胸が痛みます。
戦後80年というこの節目に、改めて戦争の悲惨さ、平和の大切さを再確認できる一日となりました。
また、職員が集まって共に行動し、共通認識を得られる貴重な機会になったことから、今後この経験を戦争遺跡に関するお問い合わせへの対応などに生かしていきたいです。