漱石の手紙を読む を受講してきました

公開日 2018年09月26日

こんにちは。市民記者のちゃんこです。

ちゃんこの好きなことは音楽を聴くことと文字を読むこと。

小学校の読書月間みたいな時は30冊以上読み、朝読書や給食前の読書の時間は本に集中しすぎて、終了の声も聞こえず注意されるほど。でも、読めと言われて読んだら注意されるっておかしくないですか?本を読んだら集中して当然なのに!

それはさておき。

学校は文学専攻に進み、卒業してからは先輩方が作った文学会に年2回参加しています。漱石の体調が急変し死にそうになったことで有名な、修善寺の菊屋旅館にも昨年宿泊してきました。漱石ゆかりの早稲田近辺の散策も行ったんですよ。

こんな感じなので「漱石の手紙を読む」講座が三鷹の元気想像プラザで開講すると聞き、ジッとしていられませんでした。他市に住む文学会の人たちにはライングループで拡散し、とりあえず自分は申し込んだ次第です。

その「漱石の手紙を読む」講座の第1回に参加してきました。

講師の先生は早稲田大学名誉教授の中島国彦教授です。当然ながら先生の文学知識は圧倒的なわけで、

・白樺派からペンネームではなく本名を名乗る流れが始まったこと

・永井荷風が漢詩を読書きできる最後の世代?(志賀直哉は読めないそう)

・ロンドンから日本に送った絵葉書が12枚セットの品で、6枚は行き先がわかっている

・漱石は20代で鷗外の本を読みベタ誉めしている。漱石と鷗外が実際会ったのは3回程度

などなど、手紙からリンクする話もすごく面白かったです。

 

漱石の手紙本文の話では「狂」の話が興味深かったです。

漱石が「狂」と表現した状態があるのですが、それは、この先自分がどうなるかわからない不安にさいなまれて「なんか、よくわかんないけど、不安でもう嫌!嫌なのよ!」という若者が感じる状態を表しているのです。人によっては自殺してしまったり、家から出なくなったりしてしまうような不安な気持ちを「狂」と表現したわけですね。

明治も平成も時代は違えど人間の感じる気持ちは変わらないんだな。と思った瞬間に、学校時代の恩師の「文学は虚構、いってみれば嘘なのに惹かれるのは何故か。それは普遍的な本質を書いてるから」という言葉を思い出しました。そういうことなんですね!

残念ながら、この講座の申し込みは終わっていますが、三鷹市にはネットワーク大学や今回の生涯学習センターなど、いろいろな種類の面白い講座が他にもたくさんあります。市報やインターネットに掲載されることが多いので、アンテナ張って見つけてくださいね。